恋をしていた頃の自分が思い出せない。
恋をすると病気になったかのような症状がでる。食欲がなくなり、眠れない日が続く。四六時中ある人のことを考えては、仕事や勉強に身が入らない。いいことがあれば天高く舞い上がり、ちょっとでもへこむと、この世の終わりか?ぐらいに落ち込んでしまう。ジェットコースターもびっくりな感情の乱高下だ。
これを恋の病、恋煩いという。
最後の恋煩いは、はていつだったのか。もはやどうやって恋をしていたのかもさえ思い出せない。悲しいような、年齢を考えると自然なことのような…。
でもこんな年になっても、同じような病を煩っていることに最近気づいた。もうだいぶ前から煩っていたのかもしれないが、病の名前に気づいたのはつい最近のことである。
四六時中、そのことを考えていたい。それを優先させたり、気づかっていると夜も眠れない、物理的に。寝返りを打つたびに目を覚まし、早朝からそれに悩まされる。いつも一緒に喜びを分かちあい、少しでもいつもと違うことが起きると途端に不安や心配になる。
世間一般にいう、「私猫好きなんです」と一緒にされたくないほど猫が好きで、自分がこの世でいちばん猫を愛して止まない人間だと思っている。だからあまり自己紹介などでも、猫が好きですとは言いたくない。「猫変態です」のほうがなからしっくりきたりするものである。
しかし、猫変態などと自分を紹介してしまった日には、おかしな人というレッテルを貼られてしまう。それには納得がいかない。決しておかしな人ではないからだ。ほかの人とは桁違いに猫を愛していて、この純粋でなんの下心もない気持ちを持つ自分のことをどう表現したらいいのか?そんなことを考えていた。
そして、自分にぴったりの言葉を見つけたのだ。
「ネコワズライ」
これだ。これならしっくりくる。私は一生治らない、不治の病「ネコワズライ」を患っているものです。
一日中猫のことばかり考えていたい。すべての猫たちに幸せになってほしい。猫が喜ぶためなら、猫が幸せに暮らせるためなら何でもしてあげたい。ずっとそばにいたい。猫を気づかうばかりに、自分のベッドで熟睡した試しがない。これは、完全に猫の病、ネコワズライの状態だ。
ただひとつ、恋煩いとは全くことなる症状がある。食欲不振。猫のことばかり考えすぎても食欲は落ちずに、なんなら増えていく。事あるごとに、今日は頑張った。だの、これはご褒美だ。だの、お祝いしないと!などと自分を褒めたたえて、理解もしない猫に無理やり同意を求める。毎日がご褒美まみれになりどんどん肥えていく。これが恋煩いにはない、ネコワズライの特徴である。
そしてこのネコワズライ、患っている人なら感じているかもしれないが、決して治らない病なのだ。猫好き程度に留まっている人たちは、しっかり自分の食欲の管理もできて、仕事や勉強も集中してこなし、プライベートも楽しんで知る。しかし、その先にある猫の病にかかってしまうと、なかなかそこから猫好きに戻るのは難しくなる。なんせ患っている人がその病を治そうとはしないからだ。なので、一度かかると治らない不治の病になってしまう。
恐るべしネコワズライ。
素晴らしいネコワズライ。




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